PART10 「本当に可愛いお医者さんでした」
著者 小山清春
 
イラスト 作者の姪 小山 愛

 東北自動車道を北上し、見知らぬ土地へ単身赴任をした。引越荷物が
納まると、女房は早々に子供たちが待つ山形へ戻っていった。再び14
年目の単身赴任が始まる。単身赴任」は、日常生活から食生活、健康管
理のすべてを自分で気配りし、いかにさわやかで健全な生活を送るか、
特に健康管理には敏感だ。私には高血圧の持病があって掛かり付けのお
医者様から降圧剤をもらい、切らさぬように気配りをしている。これは
親譲りの本態製高血圧らしく、降圧剤は若い時分から服用していた。こ
の高血圧のほかには大して具合悪いところもなく、ついつい暴飲暴食、
不摂生が重なったりしたものである。

 無病息災は昔のこと。医療機関が発達した今では、一病息災が健康管
理上もっともいいとされている。無病息災は確かに健康には相違いない
が、一病息災のほうが健康に自信がある人よりも、ちょっとした一つぐ
らい病気のあるほうが、体を大事にするので、返って長生きするという。
私の一病息災は月に一、二度、必ず先生様の問診を受ける機会があって、
しかも転々と赴任先が代わったので、多くの先生様の問診に出くわして
る。

 見知らぬこの地へ赴任したとき、前の医者様からの紹介状を持って局
の隣りを訪ねた。40代ぐらいのやさしそうな先生で、すばらしい出会
いであった。
「局長さん、単身赴任で食事はきちっと摂っていますか?…便通は?…
たばこは吸いますか?……」
 もちろん快速快便よ。たばこは吸わないし誠に品行方正だ。ただ食事
は???だね。
「酒は好きですか?どれぐらい飲みますか、毎日飲みますか?……」
「ハイ、ハイ、好きですね。毎日ビール一本。酒2合ぐらいでしょう。
上がりも夜の正午過ぎ(?)になることも、ときどきありますね」
 と、私の答えは明るく得々と淀みがない。
「 そんなに好きなお酒が飲めなくなったら寂しいでしょう」
「 そうですね、人生半分でしょう」
「それじゃ、好きな酒人生を長くつづけられる方法を教えます。あなた
の場合、γ−GTPがちょっと高いほうですから週二日は必ず休みなさい」
 と苛酷だが、それからも私の高血圧のことについて、親身になり一方
的ではなくいつも体調を聴きながら懇切丁寧に詳しく説明してくれた。
すばらしい医者様であった。


 またこんなええ先生(?)様もいたヨ。
定期健康診断でお馴染みの先生様だったなぁ。
大分お年を召しており、問診の時、私の話を
確かめるように何度も聞き返すこともしばし
ばあった。
「それじゃ胸をあけて……」
 と言うから、下着を肩のあたりまで捲り上
げた。
 先生はおもむろに聴診器を、私の胸、腹部
へと順々に当てていく。次は背中へ回るのか、
どんな音響がするんだろうと思い、内気で純
真な私はひょいと先生の聴診器を見た。
「アレ!先生、聴診器が首にかかったままで、
耳に差し込まれていませんよ」
「あぁ……」
 と言って先生は、おもむろに耳へ差し込ん
だはいいが、そのまま背中の聴診をつづけ、
「…ハイ!特に、異常ありませんネ…」
だと。先生の聴診を待たなくとも私は健康で
すからね、と心で思った。
 ええ先生はどこまでもええお医者様だね。

 

 それは暑い季節だった。今から15年ぐらい前。診察室はそれほどク
ーラーも効かず、先生様
は白衣を脱いで腕まくりまでしていた。
「小山さん、これぁ体重オーバーですよ。身長が165だからあと10
キロは落とさないと、せめて5キロはね…特に酒の飲み過ぎは一番よく
ない。食って飲むからねぇ」
 と言う。私はどちらかというと骨太で筋肉質のほうだから、体重の割
りにはスマートだと思っている。長年減量を試みているが容易ではない。
私の全身の皮は風船のゴムと同じで一度膨らんでしまうと、いくら減量
をしても長続きしない。皮はたるんでしまうから、直ぐまたもとへ戻っ
てしまうのだ。
「それにしても先生もよく言うよ……自分はどうなんだっきゃ(津軽弁)」

 白衣を脱ぎ、ベルトまで外し、腹が異常に突き出て、さしずめ臨月妊
婦のウエストである。看護婦さんがつきっきりで後へ回り、ズボンがず
り落ちるのを押さえているわけもいかないだろうから、どこで買ったの
か立派なサスペンダーをしているね。多分、西部のテキサスにある酒場
で、マリリンモンローがカウンターにすそ割れの片足をのせ、ギターを
かかえ、半開きの可愛い口元からため息の弾き語りで、
「♪♭…ンーン、ノーリーターン、…サムタイム イズ ピースフォー
…リバー ノーリーターン、リターンツーミー……」と歌っている酒場
の隣りのある店あたりで買ったサスペンダーではあるまいか。

 しかも立派なヒゲまでたくわえ、あの鉄腕アトムのお茶の水博士のよ
うな風貌だ。ときどきこのお茶の水博士とは、カウンターで隣り合わせ
になったりする。
 自分は自慢のヒゲを泡いっぱいにして、いつも赤ら顔だ。
「さぁさぁ、飲め飲め!…」
 とビールを豪気にぐいぐいと注いで寄こす。
 内気で誠に小心者の私は、
「先生、先生!待って待って、今注いでもらったばっかりだ……」
 と言っても、容赦しない。
 夜な夜なカウンターで会う大好きな先生だった。  


 またこんなこともあった。単身赴任になって
間もない若かりし頃である。
 職場の健康管理医に若い女医さんが着任した。
インターン上がりでまだ結婚前。色白丸ぽちゃ
の小柄で可愛い美人先生だった。健康管理医は、
職員に懇切丁寧を旨として、適切な指導をおこ
なう義務がある。
 この若い女医さんも、単身赴任生活に興味が
あって心配なんだろうか。しきりに問診をかけ
てくる。
「日常生活はどうですか。食生活は?…お酒も
好きだそうで、夜の酒場生活のほうはどうです
か…」
 単身赴任生活2年目の私は、一人で生活する
ことになかなか慣れてこないが、洗濯機や電子
レンジ、パンと牛乳それに目覚時計まであるか
ら、当座の日常生活には困ることはありません、
と話をする。
「…先生、親身になって相談してくれて有り難
いと思います。 ……ところで先生、日常生活、
食生活や酒場での生活と、いろいろ生活のこと
についてお聞きになりますけど……実は私にと
って切実な悩み、性生活についても相談にのっ
ていただけるもんでしょうか?…」
 独身で色白丸ぽちゃの小柄で可愛い先生は、
真っ赤になってうつむいたきりだった。
 本当に可愛いお医者様でした。


『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』