PART12 「いにしえの世界三大美女たち」
著者  小山清春
 
イラスト ちゅうらん

 世界三大美女というと、クレオパトラ、楊貴妃それに小野小町である。
これは世界的に認知されている疑いようのない「bijyo・媚女・び
じょ」だろうと思う。もちろんお三方には、残念ながら会ったこともな
ければ見たこともない。

 クレオパトラは、古代エジプト プトレマイオス朝の女王の名。ロー
マに移住した後、アントニウスと結婚しアクティウムの海戦でアントニ
ウスが敗れると、後を追って自殺する。紀元前30年 三十九歳であっ
た。勿体ない。オレが駆けつけていれば自殺を思いとどまっていたかも
知れないびょん(秋田弁)。クレオパトラのイメージとなると、どうし
ても二十世紀フォックス映画「クレオパトラ(昭和三十八年)」主演の
エリザベス・テイラーになってしまう、澄んだ目元に黒い瞳、絶大な権
威をふるった女王の名にふさわしいクレオパトラであった。
 楊貴妃はというと、掛け軸か何かで見たような気がする。柳腰で抱き
しめたりすると体にぴったりとフィットしてきそうな柔肌の感じだ。楊
貴妃は唐の玄宗のお妃。名は玉環といって才色すぐれ歌舞音曲に通じ、
玄宗の寵愛も厚く尊い重要な地位にあったが、安史の乱の時、馬嵬坡(
地名)で西暦756年に三十七歳で殺された。

 あぁ勿体ない。楊貴妃といい、クレオパトラといい、なぜオレが生ま
れるまで生きていてくれなかったのか。そうすれば一度ぐらいは、ぴっ
たりと吸いつくようにフィットしてダンスができたのでは・・・おまへ
んか(京都弁)。

 次に小野小町については、俺にとってことのほか馴染みが深いお方で
ある。若い時分に鉄道郵便局で乗務員をしていた頃、奥羽本線で山形県
境の院内峠を抜け秋田県に入ると、そこはもう小野小町の古里であった。
当時の出羽の国、現在でいうと秋田県の南の玄関である雄勝郡小野が誕
生の地である。JR横堀駅を過ぎた辺りで、車窓から線路のわきに「小
野小町生誕の地」の石碑が見えた。その頃から一度はこの地を訪れてみ
たいと念願していた。あれから三十年、縁あって現職最後の勤務地が秋
田県の県北にある鷹巣郵便局であったことから、小野小町の優美さに触
れることができた。

「平安前期の歌人。和歌の名人で六歌仙・三十六歌仙の一人。父は出羽
郡司の小野野良真、母は大町子(村長の娘)で本名は小野比古姫といい、
大同四年(809年)に十三歳の時、京へ上り十六歳で宮中へ上がりま
した。たいそう美しい娘で歌は柔軟艶麗、才能にもすぐれていたことか
ら、帝からも寵愛を受け、当時娘達の憧れであった采女に選ばれたほど
でした。天皇から「小町」の名をいただき、小野小町と呼ばれるように
なりました。三十六歳の時、故郷恋しさの余り小野の里へ帰った。晩年
には世を避けるようにひとり岩屋堂にこもって香をたき、自像を刻みま
した。菩堤寺「向野寺」には自作といわれる木彫りの自像が安置されて
おります。
 小町には悲恋のロマンスがありました。


 小町に思いを寄せる深草少将は、小町が遠く故郷へ帰ったことを知り、
逢いたさに都での役職を捨て、はるばる郡代職となり東下り出羽国へ。
いよいよ恋しい小町に逢えると恋文を送りました。しかし小町はすぐに
会おうとはしませんでした。少将に会うことで、忘れようとしていた都
を思い出したくなかったのです。 やがて、少将のもとへ返事が届くの
です。

   忘れずの 元の情の 千尋なる
      深き思いを 海にたとへむ

  "今でも忘れられない、都での愛情は、長く深いものです
       この深い愛情は、海にたとえて深い深いものです"

   (オレは、こんな熱烈なラブレターをもらったことはない、いつ
    もオレばっかり一方的に切々たる手紙を書いていた。オレはも
    てなかったなぁ。いまでもそうだ)

 そして小町は、
「あなたからの文にあるように、心から私を思っているのでしたら、幼
く都へ上った頃に植えた芍薬が少なくなってしまった。毎日一株ずつ植
えて百株になったら、私の心を差し上げましょう。」と返事がきました。
深草少将はうれしさに野山の芍薬を探し続けました。そして百日目。そ
の日はすさまじい嵐の日でした。従者が止めるのも聞かず、小町との約
束「百夜通いの誓いを果たす」と、嵐の中を小町との逢瀬を夢見て出か
けたのです。
 降りしきる雨の中、橋もろとも流されて不幸にも亡くなってしまった
のです。
 小町はなげき悲しみ亡骸を手厚く葬りました。悲恋の九十九本目の芍
薬に歌を詠じ、名を法実経の花といいました。小町と少将との悲恋の芍
薬は、あれから1192年もたった今でも、小町塚に六月には咲き競っ
ています。」


 絶世の美女の現代版小野小町となら今でも会うことができる。
 毎年六月の第二日曜日、「小町まつり」で選ばれる小町娘は、市女笠
に身をつつんで七首の和歌を朗詠するのは、もう平安時代の境地の趣で
ある。小町娘は、更に更に現代風に洗練され、秋田美人の大々代表であ
る。だって、秋田美人は色白で陶器のような滑らか柔肌、それに弾力性
があって締まりがある。あまりのすばらしさに美女びじょになってしま
う。食べてしまいたいくらいになるびょん(秋田弁)。
 それぁそうだ、現地米「秋田こまち」の産地だもの、食べたくなるの
は当然だびょん(秋田弁)。
(・・・だびょん。は秋田弁で、〜かもしれない、の意)
 世界三大美女の中でもクレオパトラと楊貴妃は、美人薄命で若くして
亡くなってしまった。あぁあぁ勿体ないことをした。とオレには痛惜の
思いである。
 それでもさすがに世界の中でも日本の美女は、昔から長寿だった。な
んと愛しい小野小町は九十二歳までも長生きしたんです。やっぱり和食
で「秋田こまち」のご飯を食べているからだびょん。
だから今も長生きしている人は、みんな美女(?)びじょなんだねぇ。

 
『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』