PART131 「のんきな殿様とその女房83」>>>「冥界の閻魔(エンマ)さま49」
著者 小山清春
   

 ドウドウド……船倉のほうから、エンジンの振動が足元へのぼってくる。
 夜8時、仙台新港を出港した太平洋フェリー「きそ」は、一路、苫小牧港へ向け
順調に航行している。
 まだ就寝するにはもったいなく、デッキへ出てみると、群青色の洋上に点々と散
らばった漁り火、はるか陸地の灯りが水平線上に浮かぶ。
 台風一過、まだ波が高く、月の見えない夜空には、まばゆいばかりの星座がひろ
がる。
 沖を眺めながら手すりにもたれて、潮風にあたりながら安らいでいると、
「満天の星が、きれいよね」
 女からの声がけがあり、ほかには人影がない。
 女は、船首の風上の方にいて手すりに寄りかかっている。
 ふっと潮風にのって、黒っぽいハンカチのようなものが顔に押し当てられた。
 強く甘い芳香が匂う。
「なになさるの?」
 ハンカチを当てられた女は、横を向き、手で払いのけようとして、ひと言いいか
けたが、わずかに抵抗しただけで、すぐにぐったりと手すりから崩れ落ちそうにな
った。
 女は、ぐったりした女の両足を抱えこみ持ち上げると、黒い波間をめがけて突き
落とした。
 眠ったままの女は、船べりの白い波間に浮かんだまま、たちまち船尾のほうへ流
されていった。
 女はすかさず、あらかじめ準備した黒のビニール袋に、クロロホルムを滲み込ま
せた黒っぽいハンカチ、うすいゴムの手袋と石を入れ、しっかり縛って、暗い海に
めがけて投げ棄てた。
 その間十数秒。
 眠ったまま流されていった女は、翌日、札幌で開かれる大学時代の同窓会に参加
する予定で、途中、仙台市内の法律事務所へ立ち寄った後、苫小牧へ向かっていた
のである。
 札幌の会場では、幹事たちが定刻になっても姿をみせない同僚に、
「たしかに参加の通知があるのだが、几帳面なあの人が…」
 千葉市の自宅へ電話を入れた。ご主人がでた。
「今朝、札幌へゆくと言って出かけたんですがね」
 宴もたけなわとなり、終り近くになっても、一向に現われる様子がない。
 早朝になっても姿はない。
 札幌の会場と自宅との間で、頻繁に連絡が飛び交った
 午前9時、捜索願が出された。
 検事という職業柄、捜査は一気に大掛かりなものとなった。仙台新港の乗船名簿
には、本人記名の乗船確証があった。

 あれから3年が過ぎた。そこまで話した五道転輪王さまは、
「それっきり私は行方不明のままよ」
 クロロホルムを嗅がされ眠ってしまい海へ流された女は、どのようにして死にい
たったのか、三途の川をわたっても判然としなかった。
 やがて、冥途の旅は、五七日の閻魔王のところまでたどり着いた。
 おもむろに浄玻璃の鏡を観せられたが、そこには鮮やかに苫小牧へ向かう船上の
夜の模様が映し出された。
 娑婆では隠し通せた悪も、閻魔王のところの浄玻璃の鏡には、詳しくしかも細か
く映し出される。




                                 (つづく)

『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』