殺した女の個室に指紋と遺留品を残さないように細心の注意をはらって自室へ
戻った。朝方になっても動悸がおさまらず、時間が経つにしたがって次第に不安
と後悔とで激しい吐き気におそわれた。
「きたかみ」は予定時刻の午前10時45分、苫小牧に到着。桟橋をわたる瞬間
には興奮が極度に達してつんのめりそうになったが、平静を装い地上へ降り立っ
た。傍から見れば顔面蒼白にちがいないが、船酔いで同じような顔色の乗客もお
り、とくに目立つことはない。

苫小牧駅から新千歳空港へ向かった。
遺留品の携帯電話の受信メールから友
人の新着メールを検索。『今、新千歳の
空港で昼食、今夜の同窓会が楽しみ。帰
ったらみやげ話で飲もうね』と返信をか
けた。その後バッテリーを外した。空腹
は感じなかったが紙パックのジュースを
飲み、空箱にバッテリーを入れ更にビニ
ール袋に収めると燃えるゴミに捨てた。
航空機やフェリーのルートは搭乗員名簿
に記名することになるので避けた。
南千歳発16時46分の特急「カシオペア」の夜行列車で東京へ。翌朝9時2
1分に上野に到着した。
その時刻は、ちょうど行方不明になった女の捜索願が出された頃でもあった。
ホームの売店で朝刊を買ったが、突き落とした女に関する記事はまったくない。
早々にマンションへ戻りTVのスイッチを入れたが、やはりそのような報道はな
い。
この時になって、昨夜来の緊張がゆるみベッドへ突っ伏すと深い眠りに入った。
どれほどの眠りであったか、気がついた時には、もう夜の気配。再びTVのスイ
ッチを入れてみたが、突き落とした女に関するニュースはない。近くのコンビニ
で夕刊を買ってみたが、やはりそれらの記事はない。
この時になって昨夜から何も食べていなかったことに気がついた。途端に激し
い空腹におそわれた。
三日目になった。愛しい人へ何も連絡をとっていなかったことに気がついた。
三日間も連絡を取らないことなどこれまでなかったことだった。
携帯の呼び出し音がして懐かしい声が耳元に響いた。他人に対するようによそ
よそしいがトーンが高く、いつもと違い、かなり慌てている風なのが気配で分か
る。
「あぁ、君か、…いま取り込んでおります」
「どうなさったの?いつもと違うみたい…」努めて平静をよそう。
「…実は、妻が行方不明なのです。後ほどまたお掛けなおしください」
よそよそしいのは当然のことで、まわりには多くの身内などが固唾を呑んでい
るに違いない。
その瞬間、いまだ死体があがらず行方不明のままであることが分かり、ほっと
したが、愛しい人の声が異常な興奮にあることが感じられ、あらためてことの重
大さに全身が小刻みに震えた。
それからも四、五日は生きた心地がしなかった。身近なあらゆる情報にさらに
感覚を研ぎ澄ました。
(つづく)
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