PART165 おい!ひざ小僧、おまえは可愛い奴っちゃ 11
農具
著者 小山清春

 戦後、農業の機械化にともない、百姓にとって掛け替えのない農具類は、次第に
隅に追いやられるようになった。それでも愛惜があり安易に処分もできないまま、
今でも蔵いっぱいに保管されている。
 大型農具の縄ない機、草取り機や足踏みの脱穀機などは、歯車や心棒の一部分に
鉄を使った。手作業の道具である鍬・三本鍬・鎌などの柄や、ムシロ織り機・俵編
み、草履編む道具、田植え枠(苗植えの“ぎり(線)づけ”に転がす円い枠)、秋
には、一本木を二つ割りにした稲杭と横駄(これに稲束を背負わせ重ねる)が並ぶ。
すべて木を使った物ばかり。
 これらの農具は、何年も大切に使って不具合になってくると、今年はこれもあれ
も買おうと楽しみに、正月の十日市を待つ。今では初市として賑わっているが、昔
は十日市というのが発祥からのなじみの呼び名であった。山形市中心部の十日町に
その石塔がある。市神を祭り、商売繁盛を祈って縁起を祝い、市を開いたのである。
 市では近郷近在から売り人が持ち寄って、木づくりの道具だけではなく、ハケゴ、
ミノ、荷縄などのワラ加工品。生活に欠かせないまな板、臼(うす)・杵(きね)
脚立、団子木など多彩な売り物で活気がわく。
 売り手と買い手のかけ引きもある。
 そこ頃は積雪が多く、父親はソリを牽いて十日市にでかけた。
「さぁ、買った、買った!」
「この臼、切れのいいところで1000円に負けろや、んでないと他の店で買うか
らよ!」
「あぁ、いいよ!…他の店を見て、戻ってきたら950円に負けるよ」
 父親は、買った臼をソリに積んで、臼の中にはちょこんと息子が乗り、安い買い
物をしたと意気揚々と帰宅するのであった。
 我が家は代々下戸の家系で、米づくりの節目には、何かというと餅を搗いて安ら
いでいた。
 十日市で新しい臼を求めた正月の14日の小正月に、待ちかねたように餅を搗い
て、生餅を神棚と仏壇にお供えした。この日は隣近所のどこからも杵の音(ね)が聞
こえたものである。
 当時は、共同での百姓仕事があり、自分の道具を持ち込んだことから、紛らわし
さを防ぐためにも道具の木の部分に、やたらと屋号の焼印を押したものである。 
 我が家の屋号は“∧の下に清”を書いた焼印である。道具ばかりではなく椀の下、
盆や足駄の果てまで焼印を付けたのは、それだけ仕事、生活には無くてはならない
大事な物として使い込んだのである。
                         
                                 (つづく)

 

 


『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』