PART205 かたりくの花
ムカサリ絵馬

著者 小山清春

 息をはずませて登ること半時。途中、でっかい(大きい)岩が両側から石段の
道を挟むようにせり出したところがある。
「ここは4寸道(12センチ)といってね、極端に狭いでしょう? 千年以上も
前から、わざとそのようにしてあるの。親が踏んだ道を子どもが踏んで通る、
さらに孫や子々孫々まで同じように通る道、人間の生き方みたいなんだね。だ
から親子道とか子孫道とも言うんだって」
 石段を仰ぎながら、さらに登ると、慈覚大師が途中で休んだという御休石が
ある。
 この辺りまで登ると庄蔵と安吉は、息をはずませながら「いやいや疲れたぁ」
とあごを突き出して腰を下ろした。
 うっそうと茂った木陰で涼み、まわりの岩間を仰ぐと、芭蕉が詠んだ「閑さ
や岩にしみ入る蝉の声」を実感する。
「こんなに蝉の声がするのに、静かなの、不思議よね」
 ジリジリと鳴く油蝉にまじって、近く遠くで鳴くみんみん蝉の声が、奇巌に
しみ込んでか、しいんとした空気をかもし出す。
 一行の参拝は午後になっていたが、折角来たのだから最後まで頑張ろうと、
おゆきの声にせかされて一段、一段とのぼる。
 紫の絽(ろ)の着物に藍色のもんぺをはき、身も軽く先だつするおあきの後
姿を
追いながら、安吉は思いをめぐらす。彦一もまもなく兵隊検査だし、そろそろ
嫁の口でも、と思う。おあきさんのような人なら申し分ないが、おあきさんは
高等女学校まで出た人だし、彦一は小学校を出ただけの馬車ひき、格式が違い
すぎる、それに家柄だって釣り合わぬ不縁の基(もと)だものなぁ、と考えなが
ら岩間をのぼる。
 庄蔵は庄蔵で、在郷での生活が長くなると、変な虫がついてもこまるなぁ、
早めに家さ戻して近くの学校へ転校させねばのう、と思いながらの石段をのぼ
る。
 それぞれ思惑をいだきながら、あえぎ、あえぎ、険しい山道に点在する堂を
巡り、ようやく奥の院までたどり着いた。
 奥の院は「如法堂」といい、慈覚大師が国々を巡行のときに持ち歩いた釈迦
牟尼仏と多宝如来がご本尊として祀られている。
 中でも一行の目を惹(ひ)いたのが、「ムカサリ絵馬」であった。
 ムカサリとは結婚のことで、お互いに「迎え、去る」の実状から、訛って“む
か、さり”となったのが語源である。
 この絵馬は未婚のままで亡くなった故人が、あの世にいっても独り身では淋
しかろうと、婚礼の席を絵馬にして奉納したものである。
 このムカサリ絵馬は、日露戦争や日清戦争で戦死した人、幼くして亡くなっ
た我が子を偲び、成人した頃に絵馬に託して追善供養したのである。
 ちょうどその折に、ムカサリ絵馬を奉納している親たちがいた。
 庄蔵がおもむろにその父親とおもわれる人に尋ねてみた。
「どなた様の絵馬なんでございますか?」
「おらえの息子で、支那事変の重慶の戦いで戦死したんだ。嫁にもらう人がい
たんだけど、ムカサリを挙げないまま戦地さ行ってしまったからな、あの世さ
往っても淋しいとおもってよ…」
「そうですか、なにかのご縁だべから、ちょういと線香あげさせてけろな」
 庄蔵とならんで4人はお参りした。
 おあきは兄清人が昼前にゼロ戦闘機で霞ヶ浦航空隊に戻って行ったばかりで
ある。兄の無事を願ってねんごろに祈った。


                                 (つづく)





『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』