となりの息子の戦死を聞いた安吉は、「仇(かたき)をとらねばなんね!」と怒
りをあらわにし、一瞬とまった空気を打ち破るように立ち上がると、隣り宅へ
すっ飛んで行った。
しのは背筋に冷たいものが走った。
彦一は甲種合格の喜びがいっぺんに戦慄へとかわった。
これまでは応召されて新兵訓練の厳しさだけが頭の中を駆け巡っていた。子
どもの頃から日露戦争で亡くなった人の話はよく聞かされていたが、いよいよ
わが身のこととして「戦死」の二文字が頭を駆け巡った。
おあきは、男たちが日本男児の本懐とか言いながらも、こころでは戦場へお
くられることに戦(おのの)くのを知るにつけ、憐憫(れんびん)の情にかられ、
無力な自分が居たたまれなかった。
梅雨があけて夏の暑い日ざしがつづく。それでもここ肘折温泉は万年雪をた
たえる月山からの西風が心地よい。
「今度のお休みに、みんなで葉山神社へお祈りに出かけない?」
おあきの発意で、しのは床屋を休みにして朝早くに登ることになった。
おあきはうす手の上着にたてつけ(もんぺ)に足袋わらじという出で立ち。め
いめいが昼食のおにぎりを背負い、夜明けとともに出立した。
葉山の裾野にはブナの原生林が広がり、日中の快晴を約束するかのように濃
いめの霧が立ち込めている。
先頭が安吉、しの、おあきとつづき、彦一がしんがりを担って一列になり登
る。
きつい上り坂にさしかかると、おあきの切なそうな息づかいが伝わってきた。
ほどなくして一息いれる。おあきが彦一のほうへ向きなおった。
「苦しいけど、さわやかねえ」
玉のような汗がえり元にながれている。リュッサックの肩掛けに締めつけら
れたうす着の胸は盛りあがり、清純な色香がただよってくる。彦一はそんなお
あきをながめ、苦しいほどの恋慕の情がこみあげてきたが、声がけすることが
できなかった。
やがて樹海の中をぬけると雄大な景観がひろがった。霧が晴れて太陽がまぶ
しさを増すころ、ようやく頂上へたどりついた。
肘折温泉の南方にそびえる葉山は、主峰が1,462メートルを中心に周辺の
山々から突出している。
北北東に長さが約4キロメートルの馬てい形の大爆裂口が口を開ける。さら
に南側にも約1.3キロメートルの爆裂口があるが、火山活動はすでに終息し死
火山となっている。
頂上からの眺望は、西方に雪をいただいた月山が目前にせまってくる。右手
には秋田県までまたがる鳥海山、その先が日本海の大海原。さらに雄大な朝日
連峰が新潟県境までのびていて、はるか南の方角に蔵王連峰が連なる。
山頂の葉山神社は古くから葉山や慈恩寺修験の中心にあって、江戸時代のは
じめ頃には修験の「奥の院」となった。
また農民の作神が宿る山として山岳信仰も篤(あつ)く、遠くは宮城県や福島
県からも肘折温泉に長逗留して参拝した。
四人はそれぞれが芯から意とする思いを願かけしてねんごろに祈った。
おあきは「彦一つあんが、兵役を終え無事に戻ってくるように」と、心の痛
みを祈った。
神社から離れたトドマツの幹元の木陰で、しの手づくりの飯の菜でおにぎり
にかぶりついた。
「おあきさん、あの尾根のところから眺めっど、山形盆地がぐんと広がって、
おあきさんの古里も見えるさげねあ、あべ(行く)?」
おあきの目はかがやき立ち上がった。
(つづく)
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