PART224 かたりくの花
「トラ・トラ・トラ」

著者 小山清春

 昭和16年11月22日、日本海軍空母機動部隊は真珠湾攻撃にむけて、航
空母艦6隻、護衛戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦9隻、艦上航空機350機、
それに特殊潜航艇3隻、後方に燃料補給タンカー7隻が北方・択捉島の単冠湾(ヒ
トカップ湾)に集結した。
 旗艦・空母「赤城」の最高指揮官南雲忠一中将の指揮の下、11月26日、
ハワイ・オアフ島へむけて密かに出航した。
 12月1日、御前会議においてアメリカへの宣戦布告は、真珠湾攻撃の30分
以上前におこなうよう決定した。
 翌12月2日、瀬戸内海の山本五十六連合艦隊司令長官が待機する司令部か
ら、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号文が旗艦「赤城」あて打電された。ニ
イタカヤマとは台湾の最高峰である新高山、一二〇八は日本時間で12月8日を
さし、午前0時を期して戦闘行動開始せよ、との符牒である。
 機動部隊は日付変更線を通過し、ハワイ時間の12月7日午前5時30分、オ
アフ島の北370キロメートルに到達した。
 午前6時00分、明るさの増してきた海上は時化(しけ)とうねりがあり、縦ゆ
れ(ピッチング)と横ゆれ(ローリング)が繰り返している。発着艦係は飛行甲板
の水平状態を感知すると、信号旗で次々と発艦合図をおくった。
 第一次攻撃隊は、飛行隊長である淵田中佐を総指揮官とし、艦戦43機、艦爆
51機、艦攻89機の183機が、空母「赤城」や他の空母から数分間のうちに、
水平線上の東雲に紅色の陽光がさす空へむかって次々と飛び立ち編隊をくんだ。
 淵田中佐の搭乗した九七式艦上攻撃機は航続距離2,280キロメートルあり、
真珠湾までは約1時間40分。機体は暗緑色で赤い保安塗装の垂直尾翼には「赤
城」の艦載機である識別番号A1―301があざやかに朝陽に輝いている。
 大編隊の中には単座式の零戦43機など灰緑褐色の翼に真っ赤な日の丸が輝
く。
 胴体下部に838キロ魚雷をかかえ、次第に明るさのます空をひたすらオアフ島
上空をめざす。
 三座式の前席で操縦桿をにぎるのは、おあきの兄の吉川清人少尉、中席に淵田
中佐、後部席には通信士が搭乗している。

                 

                              ダイヤキャストモデルから
                                        「九七式艦上攻撃機」


 雲間からするどく陽光が放射した。
「おう、軍艦旗のようだのう」指揮官のこころが勇み立つ。
 必勝の鉢巻をしめた清人は、刻々とせまる真珠湾の戦闘を前に握る操縦桿に力
がこもった。
「ホノノル放送をキャッチしたぞ、方向探知機のダイヤルは大丈夫か?」
「はい!動いております、大丈夫であります」
「その電波にのせて行け」
 ホノノル放送からハワイアンの曲がながれ、何事もないおだやかな日曜日の朝を
迎えている様子が伝わってくる。
 午前7時10分、オバナ岬のレーダーは、真北より3度東の距離140マイル
(約225キロ)の日本軍の飛行編隊を捉えていたが、これを本土から移送され
てくる4発大型爆撃機B-17と誤認しため、奇襲攻撃の事前察知をうしなっ
た。
 真珠湾に近づく眺望に清人は、
「上空にも戦闘機の姿は、まったく見当たりません」
 午前7時49分、総指揮官の淵田中佐から全機にたいして「全軍突撃!」のト・
ト・ト……の命令を下した。
 午前7時53分、真珠湾内の非戦闘状態を確認した淵田中佐は、旗艦「赤城」
に対し、「よ-し!通信士、打電しろ!われ奇襲に成功せり、トラ・トラ・トラや」。
 この時、毎朝のセレモニーとして、米海軍の航空基地では吹奏楽隊が国歌を演
奏し星条旗を掲揚しようとしていた。各艦船でも後尾のポールに艦旗を揚げようし
ていた。
 突然、日の丸もあざやかな攻撃機の編隊が低空飛行し、真珠湾にうかぶ全艦船
に次々と襲いかかった。
 陸上の軍の施設へも爆弾が投下され、飛行場に待機中の基地戦闘機は次々を
炎上していった。
 午前7時58分、アメリカ海軍の航空隊から「真珠湾に空襲、これは演習では
ない」、各部隊に警告が発せられた。
 清人は前方の戦艦「アリゾナ」を認識すると、操縦桿を下げた。
「前方にアリゾナです。……攻撃目標、打て!」
 ここぞとばかり、838キロ魚雷を発射した。戦艦前部にある火薬庫に命中、大
爆発を起こし大破沈没したのである。

 



                                   (つづく)






『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』