安吉としのが新潟港の埠頭へたどり着いたのは午後遅くになってい
た。岸壁には面会の家族などでごった返えしていた。
この海外出兵は、満州大陸の清津へ上陸したあと、南京を経て徐州
へ進軍する1個中隊の140名である。
輸送船は、武器や食糧などの積み込みを終えると、明後日の朝には
出港することになっている。
腕章をまいた兵隊がメガホンを使い案内にあたって声を張り上げて
いる。
船の後方甲板には、山砲(15貫目・約60キログラム)、野砲、弾薬、
トラックや食糧などが積み込まれ、たずさわる兵隊たちが忙しく動い
ている。
しのは人ごみにまぎれないように安吉の袖をしっかりとつかみ、息
子の姿を求めてあたりを見回した。
さらに前方の甲板では、ちょうど軍馬を乗船させるところであった。
馬は天皇陛下からあずかった皇馬であり、『馬は兵器だ!』として大事
に扱われている。
馬の腹部に毛布を広げたほどの布地で吊り上げる。岸壁から浮き上
がって不安にかられてか首をふってもがいていたが、やがて甲板に降
ろされると穏やかになった。すると、その馬をひく兵隊が彦一によく
似ており、しのは手をふって「彦いちー!」と呼んだが、その声はと
どかない。
彦一と面会できたのは、兵隊の宿泊にあてられている旅館で夕食を
過ぎてからになった。1年10ヵ月ぶりの再会である。
軍人らしく威厳を正したつもりだが、親の顔を見たとたん、「とうち
ゃん!かあちゃん!元気してたがやぁ」になっていた。
母親のしのは涙いっぱいにして、彦一の手をとると、
「彦一、達者でいで何よりだ。船さ馬乗せる仕事ば、ようやらさっと
(ようやく)終わったがはあ?」
「自分たちは、人馬一体で付きっ切りださげ、7名は船に残っている
んだじゅ。中隊長の特別の計らいがあって、親たちに乗船してもらい
面会してるんだ。おらも明日は交代で船の上での面会になるんだよ」
「彦一、とうちゃんは軍隊の経験がないさげな、よく分からないんだ
が、どうだなや?」
「まずは大丈夫だ、入隊しから1年10ヵ月を過ぎたべ、前に手紙出
したけど、ほれ、陸軍一等兵になったんだ」
と二つ星の襟章を指差した。
「彦一、お前はりっぱな軍人になっなや、とうちゃんも嬉しいだ」
「んでも、おらよ、馬の扱いになれているから助かるんだじゅ。同じ
中隊の輜重兵(しちょうへい)の中には、馬を初めて見たり、さわった
りした兵隊もいてよ、ごしゃがれて(怒られて)ばっかりいる人もいる
んだ、気の毒によ」
輜重兵というのは武器や食糧などを馬で運ぶ兵隊のことである。彦
一は当然のことながら馬の扱いが抜群で、上官たちからはずいぶん受
けがいい。
親子の話はつきない。前の晩に親ごころを込めて巻いた笹まきや弟
からの和菓子など、夕食のすんだ後だが彦一の口にはいくらでも入っ
た。たまたま近くにいた戦友にもおすそわけができた。
時のたつのは早く面会時間がようしゃなくせまる。軍隊の就寝時刻
は10時。安吉としのは、息子との懐かしさを惜しみながら予約の
旅籠(はたご)へと
もどった。
しのは床に入ってからも寝付けなかった。
「ねえ、あんだ、彦一はよ、おあきさんのことをおくびにも出さなか
ったけどよ、今でもやっぱり想っていんだべかなぁ」
「…ん?想ってえっからこそ、かえって口に出さなかったんでなえか、
あえつぁ、これから戦場に乗り込むんだ、わざわざおあきさんのムガ
サリ(結婚)のことを、しゃべっこともなかんべ」
おあきさんのことについては、彦一から話が出ないかぎり喋らない
ことにした。
翌日は船上での面会となり、親子の会話はつきることがない。
面会の終わる時刻になってくると、彦一は徐々に軍人の言動にもど
っていった。
しのは我が子が少しずづ手元から離れていくような不安にかられ、
「もしかして、これっきり彦一は帰ってこないのではないか」との思
いが心底か消えることがない。そうかと言って、これから戦場へ向か
おうとする息子に、「戦いをそこそこにして命永らえて帰ってこいな」
とは、とても言えなかった。
しのは彦一のほうへきっと向き合い、息子の両手をしっかりつかむ
と、わが胸に押しつけるようにして両腕を抱きしめた。親子の視線は
固くかさなった。
「彦一!ええか、かあちゃんのこの懐(ふところ)をけっして忘れんな、
な、ええか!」
面会時間が終わって船を降りたが、ついにおあきさんのことは話に
でることはなかった。安吉としのはこれでよかったと安堵したものの、
おあきさんとの消息がぷっつり消えたようで、一抹の不安をおぼえた。

「内閣情報部編集・昭和13年2月17日発行から」
(つづく)
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