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PART39 「のんきな殿さまとその女房」 | ||
著者 小山清春
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台風一過。冷蔵庫を開ける。 「暑いなぁ、今日は。う?、何だこれぁ」 中段の棚にラップのかかったメロンの半切りがあって、その脇にちょこんと単三の乾電 池2本が並んでいる。 「おかあさん!何よこの乾電池?」 「冷蔵庫に入れておくと、少しは性能が戻ると思って」 冷蔵庫のドアは開いたまま、女房の返答にオレの口も開いたまま。 当の仕掛人はというと、実に真面目に澄ました顔で昼番の「おもいっきりTV」から目 が離れない。もしかしてTVの中で乾電池を冷蔵庫に入れる話があって、本当に性能が戻る のかなぁと一瞬思ったりする。 それならば超大型の冷蔵庫に、オレも生きのいい本マグロの刺身かなんかと並んで、ち ょこんと座っていれば、男性の機能も少しは回復するのではと思ってみたりする。 それでも冷蔵庫の中で特に邪魔にもならないから、今でも単三の乾電池2本はそのまま になっている。 あぁ、連日の猛暑でオレも女房も、脳のコンピューターがウイルスに冒されたのかな。 一緒に生活していて女房のことをよく観察していると、オレも心が豊かになってくる。 先日も何やら忙しそうに、せっせと書きものをしていたが、オレが晩酌に入った頃、 「ファックス送るんだけど、夜になっては会社に誰もいなくなっているから、駄目だね」 「なに、ファックスだろう?」 「だって誰もいないから、受け取れないでしょう?」 ついついオレも女房の言い分につられて、 「いいんじゃないのその方が、どうせ明日の朝になっても同じだから」 将来の唯一の介護人には逆らわずに、反抗などしないほうがいいと決めている。 「おとうさん!網戸をしめて!」 と夏の夕方、2階にいるオレに、突然、声がかかった。 「どうした?」 2階に上がってきて彼女いわく。 「シマ蚊に刺された。音もなくきて強烈なんだから、内腿を刺すとは、こん畜生オスか」 スカートをぐいっと捲り上げると、色白の内腿あたりに"アンメルツ・ヨコヨコ"という のを塗っている。 「なんだい?それは打撲・肩こり・筋肉痛用だぞ」 「いいんだ、(容器が)同じ形してるから効くんでねぇか、スウスウするよ」 夜、隣のベッドで内腿のあたりをぼりぼり掻いていたね。 |
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いよいよ夏本番。押入れの中は、Tシャツから下着や 靴下まで夏物と入れ替わる。この作業は女房の仕事 だから、任せっきりのオレは口出しなどしない。毎年、 下着類は2、3枚づつ新しくなる。 ランニングシャツ・すててこ・ブリーフなどである。 若くもないのにブリーフだなんて格好いい。 ところがこれには呼び名もいろいろあって、トランクス ・パンツ・短パン・ズロース(これは女房用だ)、それ にサルマタ(申又)というのもある。 「おい!これはブリーフって言うのかい?」 「あなたのは、"さるももひき"じゃないの」 「なんだいそれぁ?」 「"さるまた"と"ももひき"の合いの子じゃないの」 すっかり馬鹿にされたようで、やっぱり広辞苑を引い てみた。ところが驚き。『猿股引』という言葉があった ね。このことを女房は知ってか知らずか得意になってい た。 |
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ところがである。この後が被害。"すててこ"を3枚揃えてくれた。 「"すててこ"なんて、あんまりスマートな涼しい呼び名じゃないね」 「あなたがはくと、"ナツモモ"だね」 「なんだ、"ナツモモ"ってぇのは?」 「夏にはくモモ引きだべよ」 いよいよ新調のすててこをはいて毎朝のウォ−キングへ。その日は朝から暑く1時間ほ どで汗ぐっしょり。シャワーを浴びてさわやかなスタートである。 午前中、書店に用事があったのでデパートへ出かけた。 トイレに入った。何個もある便器の前に立って小用達の構え。ジッパーを下ろす。右利 き指でまさぐる。「う???ない」。すててこの前開き窓がないのである。さては後ろ前 にはき違えたかな。仕方なしに隣の個室(大用)に移る。目的の遂行ができず中途半端で 移動するのは誠にバツが悪いものである。他にお客がなければよかったが、その日は休日 のイベントがあって混んでいた。女性の皆さんは、初めから個室だからこんなバツの悪い 思いはしないですむだろうね。 取りあえず本来の目的の遂行を果たし、おもむろにすててこの前後を調べてみた。 「なんだこれぁ、無い」やっぱり前にも後ろにも窓がないではないか。 帰宅そうそう女房をとっ掴まえ、うっぷんやる方ない。 「おい!このすててこ前開きがないぞ。おんな物と間違えて買ってきたのではないのか」 「そんなはずはないなぁ。男性用売り場で買ったんだよ」 新調した3枚とも前開きがないのである。そうかと言って今更返品もできなくなった。 「とにかくオレはこんなのはかないよ。お前がはけば」 「男物などはかないわよ。あたしは生まれたときから前開きなの」 「??」 女房の返答にオレの口は開いたまま。 二、三日後、下着を買ったスーパーの男性用売り場へ出かけてみた。女房のやつは知ら んぷりでTシャツの展示などを見回っている。 「すててこを買ったんですが、前開きがないんですよ」 癒し系の色白丸ぽちゃで、実習のネームプレートをつけた子が恥ずかしそうに、 「前、あきですか?ちょっとお待ちください」 今度は昔癒し系だったような愛嬌あるベテランが応対。 「はい、すててこの前開きのないやつですね、ありますよ。若い男性が買っていくようで すよ。前開きのおんな物もありますからね」 「え?、おんな物でも前開きがあるんですか」 「ありますよ、和服を着たときね」 と言うことは、着物姿の女房はオレに黙っているけどダブル前開きなんだな。 それにしても若い男性が、前開きのない物を買っていくとはどういうことか。そう言え ば思い当たる節がある。自動車道のサービスエリアなどのトイレにいっせいに並んだ時、 若い男の子などが、ズボンをずり下ろして小用達している姿を見かけたりする。なるほど あれが窓なしすててこの仕業か。子供の頃、お母さんがズボンをずり下ろしてオシッコさ せていたが、大人になってからもその名残なんだと思う。すると男性はどの時点で何歳頃 に、ジッパーを下ろし指でまさぐりつまみ出す躾をほどこされたのか。相手する癒し系の 女の子にブリーフやすててこをはかされた時に、懇切丁寧に躾されたのだろうか。謎は多 いに深まる。 「お前はどうなんだ。躾されたのか?」 「わたしは生まれた時から前開きだから、関係ないの」 だそうであるぞよ、のんきな殿さま。 ![]() |
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