PART4 「智恵子の面影に、湯のぬくもりが・・・」
著者 小山清春

 福島県の「岳温泉」へ湯治に。早春とはいえ、みちのくの3月は結構寒
い。それでも温泉場は格別だなぃ!(福島弁)。途中、二本松市に隣接す
る安達町の「智恵子の生家」を訪れた。今では廃業になった造り酒屋「米
屋」である。智恵子が高村光太郎と結ばれ、東京駒込林町に所帯を持った
頃、実家「米屋」は次第に傾いていったのであった。
 智恵子を育んだ生家、家の中へ一歩踏み込むと2階の智恵子の部屋から、
今でも智恵子の声が聞こえてきそうだった。さらに裏庭にある記念館に入
ると、正面に智恵子が高村光太郎と初めて出会った27歳の時の大写しの
写真が掲げてあり、心惹かれて見入っていると、光太郎が最愛の妻、智恵
子を失った悲しみや無念さが伝わってくるようであった。

妻、智恵子を亡くしたのは昭和13年、光太郎55歳の時である。
私が智恵子について深く知るようになるのは、花巻市郊外にある「高村山
荘」を訪れた3年前のことである。
高村光太郎は、昭和20年戦災に遭い、知人を頼りに花巻市へ疎開。郊外
の山荘で農耕自給の生活が始まる。光太郎は、夜な夜な裏山の山中に登り、
妻、智恵子恋しさのあまり、「ちえーこっ! ちえーこっ!・・」と呼び
かけたという。それを聞いていた里の村人達が、いつしか、その丘を「智
恵子の丘」と呼ぶようになった。光太郎が南のほうに向かい呼びかけた空
は、智恵子のふるさと安達太良山の空だったのかもしれないし、共棲して
いたアトリエのある東京駒込林町の空だったのかもしれない。


記念館で見た、ふっくらとした色白丸ぽちゃの智恵子の
面影は、宿岳温泉『松渓苑』にきてまでも強烈であった。
大浴場の「寿松の湯」で体をいっぱいに伸ばして瞑想し、
さらりと庭へ出て、露天風呂「木野香」では、木の香と
ぬくもりで心を空白にし、差し渡し1メートルもあろう
か、樹齢数百年の老松の枝ぶりを眺めながら、なお智恵
子の面影だけを追う。
やがて湯を出る。ぬくもりに浴衣がけで、広いラウンジ
から庭を眺める。長い月日をかけ自然が行き届いた見事
な庭園には、苔生した岩間をぬって安達太良山からの清
い水が流れ下る。水量が豊富だから池に淀むことはない。
 庭の光景に、心満ちていると、
  「いらっしゃいませ!」
ふっと我に返り振り向く。
  「あぁ、女将さんですか・・・すばらしいお庭だな
ぃ(福島弁)」

 
しばらくぶりに私まで、ふっと福島弁が甦る。
美人な日本の宿の女将さんは、さらりと私の話し相手になってくれる。ふ
っくらとして色白で、丸顔の澄んだ目元は、先ほどまで心いっぱいにして
いた智恵子の面影であった。安達太良山のこと、岳温泉は海抜600メー
トルの高原にあること、霞が城のこと、特に智恵子のことについて話す女
将さんは、さわやかで智恵子本人かと錯覚するほど。
 「女将さんは、もしかすると安達町生まれの、旧姓長沼でなぃんかぇ?」
などと聞いてみたりする。智恵子は旧姓長沼智恵子だから・・・。
 「私は郡山生まれで、智恵子とつながりはないけれど好きなんですよ」
 そう話す口元や目の輝きまで、智恵子の面影であった。

 庭園の宿『松渓苑』での一夜の宿は、湯のぬくもりが体の芯までしみ、
心ゆくまで堪能できた人生の喜びのひと時でもあった。
 きっとまた、誰かと連れ立って来て、静けさの中で智恵子と「智恵子の
話」をしたい。