PART56 「のんきな殿様とその女房16」
著者 小山清春

  
 ♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の
  ああ北国の春

 我が家の『百樹草の庭』に土筆(つくし)が群生し、色とりどりの草木の芽が
吹き出す季節になった。はるか山並みの頂には、真っ白く残雪がまだがんばって
いる。うすピンク色のこぶしの花が咲き、たんぽぽが咲き、ようやく春が来た。
北国の春はいっせいに来るのだ。4月も半ばになると頬にさわやかな風が心地よ
い。来月に入るといよいよ田植えの季節となり、見渡す限りの青田に変わってゆ
く。
 あと2週間もすればゴールデンウィークとなり、娘たちはのんきな殿様が専有
する孫たちを連れて戻ってくる。子連れの娘の友だちやご主人たちまでもが一堂
に会し、我が家のリビングは女の子、男の子が持ち寄った「しまじろう」・「ア
ンパンマン」・「チョロQ」などのオモチャが、所狭しと大移動してくるのであ
る。36型のTVは、「あかあさんといっしょ」や「しまじろう」のVTRに攻
略されてしまい、大御所のじぃは、新型パソコンでのTV観戦となる。
 あらかじめ娘の方では、遠方から集まってくる友だちへお触れを発出し、帰省
時の料理は何?とリクエスト。
「おじちゃんの揚げ立ての、カリカリしたてんぷらがいい、それに手打ちソバ」
 この季節に、のんきな殿様が持て成す料理の旬の味となると、百樹草の庭から
採れた蕗・柿の新芽・アケビの芽・こごみ・タラの芽・八重桜の花・よもぎ・そ
れに特製のイカのゲソなどの揚げ立てのてんぷらが、ずらり食卓に山盛り。
これを楽しみに、今年も若いおかあさんや連れ合いが総勢20人ぐらいの集まり
となろう。来る人も楽しみだろうが、鶴首ののんきな殿様もすっかりエビス顔な
のである。
 我が家の長女には友だちが多く、あだ名は「お嬢!」。のんきな殿様の姫御前
であることからの名の由来だろうか。
 中でも、毎日毎晩のように連(つる)んでいた親友は隣り藩の姫御様で、大学
の卒業記念にフロリダ半島のマイアミからセブンマイルブリッジを通り、キーウ
ェストまでの2人旅を楽しんできた仲なのである。
 そんな無二の親友は、結婚という運命劇によって、縦に長い日本列島の南と北
に引き離されて暮らすことになった。まもなく海水浴も間近という黒潮おだやか
な相模湾の眺望はまさに絶景だ、という小田原の地にその親友は居を構えたので
ある。
 一方、我が藩の姫御前はというと、
   ♪お岩木山のてっぺんを 綿みたいな白い雲が
    ポッカリポッカリ流れていて
    桃の花が咲き 桜が咲き
    そいから早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃
    おら達のいちばん楽しい季節だなやぁ

と津軽藩の弘前へ嫁いで行った。
 4月に入って弘前城址の桜は、老木の緑と桜の彩るコントラストが見事。父に
似て酒好きな娘が嗜好する大吟醸は、いっそう美味しくなる。
 ここのソメイヨシノは今から300年ほど前、津軽藩士が京都から苗木を持ち
込んだものである。明治時代に、神聖な城内で平民がこぞって花見など許さん、
と枝を折られるなど迫害されたこともあったが、やがて沈静化し、大正時代にな
ると、2千本もある夜桜見物が大変な盛況となっていった。咲き競うシダレ桜に
埋もれる本丸の天守閣。西濠にある桜のトンネルはカップル達の最高のデートス
ポットだという。そのためのんきな殿様とその女房の愛姫が、大学時代を弘前で
過ごすことになったばかりに、津軽藩士の末裔である男に掠奪されてしまったの
である。こんなことなら弥生のお雛様は早く仕舞わないと嫁に出遅れると言われ
るから、秋までも飾っておけばよかった、と後悔しても孫まで誕生してしまった
今となっては、後のまつりである。
 娘たちは『結婚』という呪縛によって、はるか南であろうと北であろうと離れ
離れに。自ら選んだ運命の絆とは言え、考えようによっては残酷な話だ。生まれ
育った温もりを拭い去るようにして、幸せを念じつつ愛する人の元へ安らぎを求
め、脱皮して行ったのであろう。
 3番目の姫御前は、ご主人の仕事の関係から横浜で主婦業に専念。
 娘御2人とも長男に嫁いだ。偶然ばかりではなく慎重に選んだ結果の行く末で
あろう。「嫁に行くなら長男がいい。土地つき、家つき、姑つきが一番」とは、
ご幼少の頃からしきりに吹聴してきた母親の弁である。
「ばばぁ抜きのところへ嫁いだりしてみろ、亭主ひとりの給料、主婦の内職での
家計の助けは大変なことなんだよ。子育ては母子の泣き別れ、保育園で他人様の
手に。若夫婦でささやかな旅さえもままならぬ」という。
 それよりも土地購入、自宅新築費の苦労もなく、「あかあさん、ちょっと孫を
みててね」と夜の飲み会へもゆっくりと。娘は言う「癒し系の我が子が、姑たち
を和ませて喜ばせてくれるのは、うれしい」と。
 明治生まれの姑さまに従順に仕えた一世代前の嫁御、とは大きな変わりよう。
高度成長期の30年前頃になると、『家つき、カーつき、ばばぁ抜き』が理想と
追いかけたこともあったが、今では合理的に割り切った発想になったのか、あっ
けらかんになったというか、『土地つき、家つき、姑つき』が理想と、のんきな
殿様も思っているし、娘たちもその方針を地で行っている。
 一方、やがて老後を間近にしたのんきな殿様とその女房にとって、切実な問題
として大きくウェイトを占めることとなったのは、子供たちに老後を託すことな
ど到底望めぬ、という現実に遭遇することである。先々の深刻な事態が待ってい
ることなど実感が涌いてこないのだ。
 今は、そこそこ元気な2人だが、「人生、これからがいいところ、孫の面倒を
みさせられて子守りに振り回されるのも癪な話だ。長男夫婦が別居しているのが
幸い、清々していいもんだね。同じ屋根の下で一緒に暮らしたのでは、若いもん
に遠慮しながら、せっかく購入した新鋭機のカラオケも小声で、食べ物からお風
呂までも気ままにならず、力んで屁までもこけぁしねぇ」であるから、のんきな
殿様とその女房は、子供たちと離れて暮らすことを実行し、清々感を実感してい
る。
 それでも、やはり老後は我が家の生活の中で朽ち果て、終焉を迎えてもいいの
では、とあっさり考えたりもしている。
 我が家の近くに、食つき、湯つき、お医者つきの『メルヘンの館』があり、老
後をゆったりと過ごせるという。ところが費用は、なんとお一人様が、月々15
万円也だと言う。夫婦で30万円にもなる。
「困った、月々30万円は年金ではとてもダメ。どうする?奥方さまよ」
 のんきな殿様には蓄えなどない。金と力がまったくないからだ。
 "金は天下の回り物"というから、夜な夜なカウンター越しに、色白丸ぽちゃと
いちゃいちゃすることで、お金をいっぱい回してやったというのに、待っても待
っても天下の回り物が手元に来ないではないか。挙句の果てに現役当時のツケが、
今ごろになって文無しで回ってきたのである。
 『メルヘンの館』の月々15万円も、のんきな殿様だけの単身赴任なら大丈夫。
馴れた単身赴任でもあり何とかなりそうだ。生涯青春だ、実行だ。
 ところが人生、どこでどんな幸せにめぐり合うか分からないもの。隣りの部屋
に、昔懐かしい色白丸ぽちゃが入居しているではないか。
「これも運命のめぐり合わせなのよね、うれしいわ」
と、お隣さんは懇切丁寧に、しかも切なく面倒見てくれるではないか。のんきな
殿様はわくわくして元気がでてきたなぁもう。

                                   了



『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』