PART73 「のんきな殿様とその女房25」>>>「梅干しの唄」(1)
著者 小山清春

 『お隣の国から使者がやってきた。「このたびは、こういう問題を持ってきた。
解けなければ、お前の国を攻め滅ぼすぞ!」。隣の国は強い国で、攻めてこられ
ては、ひとたまりもないのです。これに困りはてたお殿様は、この難題を解ける
もの者はいないか、ご城下におふれを出した。
この難題というのは、玉に入口と出口があり中はくねくねとなった穴、これに細
い糸を通せ、というのです。
親思いのせがれは、このおふれを見ました。国の掟を破り、姥捨山から連れ帰っ
た大事な母親を、床下の穴蔵にかくまっていたのです。
「おっかぁ、お殿様はお隣の国の難題に困っている。いい知恵はないものか」
「これはおじいさんから聞いた話だけれど、アリに糸をつけ、出口のところに蜜
や砂糖など甘いものをおくと、アリは甘いものに誘われて糸を通す」
 このほかにも、お隣の国から次々と難題がかけられました。「灰で縄をなって
みせろ」「まったく同じような親子の馬、どちらが親馬か」
 親思いのせがれは、そのたびに母親から、おじいさんやおばあさんに代々伝わ
ってきた知恵を聞いて見事に解いたのです。お隣の国では「この国にも利口者が
いる。おいそれと攻め入ることは出来ない」と、それからは隣の国の使者はこな
くなりました。
 お殿様は、親思いのせがれへのご褒美に、今までの掟を取り消し、お年寄りは
古いもの、汚いものとして毛嫌らってきたが、お年寄りが国を救った。これから
はお年寄りを大事にするよう、国中におふれを出したのです』。
 お年寄りの知恵のことになると、いつもこの玉とアリの話を思い出す。
 これは、我が子に背負われ山へむかう道すがら、枝を折っては捨て折っては捨
て、息子が迷わず里へ帰れるように、という親心の話である『姥捨山物語』の中
の一節です。
 今、我が国からは、お年寄りを大事にして目上を敬う風潮が消えてしまい、親
は子供を虐待し殺す、子供は親を殺す、ましてや自我のうっ憤晴らしに他人を殺
すニュースの毎日。どのチャンネルをプッシュしても、馬鹿(番)組ばかりで、
我が家で買ったばかりの新型TVは、すっかり穢れてしまい、のん気な殿様の話
題のような、さわやか番組が映らなくなってしまった。
 『一年の計は食料に、十年の計は森林に、百年の計は教育に』。国づくり百年
の計は若者の教育にある。この国づくり基本を忘れてしまっている今、お年寄り
を敬う利口者がいなくなって国は滅びる。これをお隣の国では、虎視眈々と狙っ
ているのである。むかしは国と国の戦いで軍隊が直接乗り込む。現代では兵は動
かずボタン一押し。ロケット兵器が首都東京へ大阪へ仙台へ。自然いっぱいの豊
かな山形では、笹谷峠のはるか上空を飛ぶだけだから、のんきな殿様の天守閣が
攻撃受けることはないだろうと、高をくくり暢気に思っている。


 先日、カルチャークラブのある方から、91歳のおばあさんが歌う『梅干しの
唄』のテープを聞かせてもらった。「戦友」(明治37年)の節回しを巧みに操
り、矍鑠(かくしゃく)とした声。節まわしや文句の情感からすると、日露戦争
当時の唄ではないかと思われる。
「私の母ですの」という娘さんの面影から若い時分を思い描くと、色白丸ぽちゃ
でさぞかし持てたことだろうと思う。

  『梅干しの唄』の宇野千代さん
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梅干しの唄 
  (節は『戦友』から・明るくは『鉄道唱歌』で)


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 おばあちゃんが生まれた大正元年は、尋常小学校唱歌「茶摘・汽車・村祭・春
の小川・村の鍛冶屋」などが歌い出された。タイタニック号が氷山に衝突したの
もこの年。東京州崎遊郭で大火、折りからの風にあおられ、1,150戸が焼失。
あられもない姿で右往左往する遊女や客を、壮観だなぁと眺める野次馬がきっと
いたと思う。いつの世にも他人の不幸を喜ぶ、暢気な馬鹿や野次馬がいるものだ。

                                (1)の了


『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』