PART84 「のんきな殿様とその女房36」>>>「冥界の閻魔(エンマ)さま5」
著者 小山清春

 そば仕えは、奪衣婆(だつえば)のもとから手ぶらで戻ってきた。
「なに!奪衣婆から布一枚も貰えなかったと?バカモノ」
「はい…。どうしてもほしいと懇願しましたが“まぇね”って言った
けぁ、絶対駄目でした」
「ちぇっ、仕方ねぇなぁ……これ女!これから審理を再開するが、そ
の前にその布を手に持たずともよいから、敷物にして座るがいい」
「はい、宋帝王さま」
 女は、大きくもない真っ白い布一枚をひろげ座り直し、宋帝王の正
面をきっと見据えた。
「ちぇっ、布が真っ白く、白黒のコントラストが鮮やかで悩ますなぁ」
 王はこころの中で舌打ちすると、
「これより再開!」
 王の傍らに控えた奮迅の獅子がひと声吼えた。
「これ女!先の審理によると、そちは正しい夫婦を全うすべく努力し
たが、夫の方が他へ女をつくり相手にしてくれなかった。それゆえ他
の男のもとで人間らしく本性を真っ当したと言うことか?」
「……?………はい」
「どうも歯切れがわるいのう。…女と米の飯は白いほどよいといって
七難隠すとも言う。プディングのようなそちの体には、男が寄りつき
群がったのであろう」
 女は生前の自分を思い起こし潤んだ目で、
「そんなこと…はありませぬ。……男が群がったなんて…そんなこと
はありませぬ」
「そちの供述には、どうも一貫性に欠けるものがあるの。…そちとて
他の男との嬉戯(きぎ)にふけり歓泣(かんきゅう)したことは、人間ら
しく善いことと思うであろう?」
「……宋帝王さま、自分のことをそんな風に思ったことなど一度もあ
りませぬ。…宋帝王さま、それは誘導尋問です」
「そちの色白ちらちらを眺めていると、表向き貞淑な妻をよそうたが
夫の不貞を口実に、芯から男の性(さが)が欲しくて自ら他の男をあさ
り、淫乱したのではあるまいな?」
「……他の男をあさったなんて、そんな…決して理性を失ったり不真
面目な行為などいたしませぬ。ましてや淫乱だなんて、いや!です…
宋帝王さま、いや!…」
 女は涙ぐんだ風な目で抗弁するが、迫力に欠けた。
「どうしたものか、そちを視ていると今ひとつ追求に力が入らぬ、…
…困った」
 この時、そば仕えが、
「ご主人様、あとにいっぱい亡者が控えております。この女にばかり
時間をさかないでください」
「そうか、ここのところ男女の因果関係で成仏する者が多くて、本審
のところが特ににぎわうのじゃ。これまでの供述が嘘か真実か、次の
四七日の五官王のところで審理する。先へ進むがよい。……そなたに
ついては、時間をかけ懇(ねんご)ろに審理したいところだが、誠に残
念であるの」
 残念なのは宋帝王の方で、女にとっては針のむしろであった。
 審理を終えた宋帝王は、色白丸ぽちゃのことがしばらく脳裏から離
れず、時おり夢にまで観ることがあった。「これぁ、夢にまで出演し
てきたとなると只ではすまぬ。ギャラを払わねばなるまいの」
宋帝王は冥界の十王のなかでも特に義理堅く、
「これ、そば仕え!ちと追っかけていって、夢出演へのギャラを閻魔
王の裁きに入る前に届けてまいれ」
 そば仕えは、ギャラの入ったビロードの巾着を懐に仕舞い込むと、
急ぎ足に女のあとを追った。
 そのころ女は、四七日の裁きに曳きだされる寸前。ビロードの巾着
を受け取ったものの、素っ裸では巾着の仕舞う場所がない。仕方なく
ポシェットのように腰に巻きつけ、正面にぶら下げるしかなかった。
それを一枚布で隠し、五官王の前へおもむろに進みでた。

 四七日の審理は、生前に不穏当な言動や嘘をつかなかったを基に、
これまでの審理内容を検証することにある。
 五官王の両サイドには白像が控え、長い鼻を高々と巻き上げている。
「これ1661638おんな!、本審では、これまでの法要ごとの審
判の供述に、偽りなきか否かを審理する」
「はい!…」
 女は、四七日にもなると冥界の居心地にも慣れてきて、審判の席で
も、ゆとりが持てるようになってきた。五官王をお仰ぎみて、内心「
男前だなぁ」と思ったりしている。
「五官王さま……お願いが…ございますの」
「開廷早々に、何ごとじゃ?許す……もじもじ躊躇(ちゅうちょ)せず
とも申してみよ」
「はい、……五官王さまのおヒゲ、あまりにもご立派なので、ちょっ
とだけ“ちょして”(触って)いいかしら……どうしても、ちょしてみ
たいの?…ねッ、お願い!」(山形弁)。
 女は芯から王のヒゲに惚れ惚れし、うっとりした瞳で仰ぎ見ている。
 それまで両サイドに白像を従え威厳を正していた五官王は、不意の
申し出に戸惑い、すっかり落ち着きをなくし威厳を失してしまった。
「な、なに?…このヒゲに触れてみたいとな。400年来、この審判
をやってきたが、まったく初めてじゃ」
「いいのね、いいのね……ちょっとだけ“ちょしゃせて(触らせて)”」
と言うなり女は有無をいわせず、なよなよした腰つきで4階段をのぼ
ろうとした。
 突然、両サイドの白像がこれを阻止しようと、「ヒエー」と高々と
吼えて鼻をのばしてきた。王は両手を大きくひろげ「いいから、いい
から」と制止した。周りのそば仕え達も右往左往している。
 ひたひたと素足で4階段をのぼった女は、そうっと五官王のヒゲに
ふれ、さらさらした感触を懐かしむように目を潤ませた。五官王のほ
うもヒゲをほめられた上、快感があるのか満足そうに触られるにまか
せた。

                               (つづく)
 


『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』