PART88 「のんきな殿様とその女房40」>>>「冥界の閻魔(エンマ)さま9」
著者 小山清春

 怨み女が五七日の閻魔王裁所の門内に曳かれて行くのを見送って
から、しばらくは考えることもなくぼんやりしていた。怨み女から
「あなたは、すんなりと往生して来世の生所で幸せになんなさいよ」
といわれた言葉だけが、耳に残った。
 三途の川を渡ってから1ヵ月がすぎた。「あの人は、やはり来ない
んだわ、もう会えないのかしら」、そんな思いが少しずつ広がってき
た。死の間際に、あの人の胸にひしと抱かれたぬくもりが、豊麗(ほ
うれい)な乳房によみがえり、切なく、そうっと真っ白な一枚布を胸
に抱いた。もう一度あたたかい男の胸に抱かれたい。しかし、それも
感覚だけの切なさで、生理的に芯からのうずきが込み上げてはこなか
った。
 怨み女のように前世への怨念もなく、ただ二世を契ったあの人が来
なかった虚しさだけが心残りになっていた。前世も次第に遠くなって
ゆき、未練もうすれてきた。いつまでも過去に引きずられず気持を切
り替えて、このへんで往生し、六道輪廻のうえ来世へ生所して、新た
な男の胸の温もりに抱かれてみようかと、ぼんやり思ってもみた。
 はたと新たな思いが心をよぎった。
 六道輪廻しても必ずや女に生所するとは限らない。男かオスの♂に
生まれるかも知れないのだ。色白女はハッとして身震いした。
「男なんて、イヤ!……、おんなに生まれたい。……そうだ、五七日
審理の閻魔さまに頼んで見よう、どうしても女の方がいい」
 池畔には見渡すかぎり蓮の華はゆらぎ、思いも新たに眺めていると、
娑婆のことより来世への思いがつのってきた。
「1661638おんな!五七日裁所の門内に入れー!」
 王のそば仕えが呼び出しにきた。鳩が豆鉄砲を食ったようにきょと
んとした顔ではなく、少しは増しな顔立ち。
 重厚な門扉が開き、そば仕えに曳きたてられた色白女が入ると、ギ
ギッと軋んで扉は閉まった。この扉は入るだけで、出ることは決して
ない。内部は広大なお屋敷になっている。豪壮な高楼は屋根だけで、
見通しのよい広々とした部屋になっている。中に入ると正面中央の数
段高い位置に閻魔王の豪華な卓が構えてある。血の色をしたテーブル
クロスが掛けられ、上に『浄玻璃(じょうばり)の鏡』の大型モニター
がのっている。

 曳きたてられた亡者たち6、7体が、門をくぐった右手にある小池
のほとりに、たむろっているが、浄玻璃の鏡がある位置から大分離れ
ていて、映し出される映像は容易に見えない。呼び出しを待つ亡者た
ちには、そば仕えが世話役のように付き添っている。
 色白女はそば仕えに尋ねた。
「閻魔さまはさすがに恰幅があり、いい男ねぇ。でもなぜ胸元に小型
マイクをつけて話しているの」
「この頃、冥界も喧騒になってきて、ご主人様の声がよく通らなくな
ったのだ。若くして来た亡者たちが、カシャカシャと体でリズムをと
ったり、キャキャと踊り出したりでうるさくなった。この前はどうや
って奪衣婆の目を誤魔化したのか、CDプレーヤーなるものを持ち込
み、門前の蓮の池ほとりでガンガン鳴らす。実にうるさい。そいつら
は喧騒な雰囲気が好きなのだから、畜生道の鳥居をくぐり、明けガラ
スにでも輪廻していったと思うよ」
 色白女の前には、幼い子どもがちょこんと呼び出しを待っていた。
「坊や、どうしてこんな所へきてしまったの」
「……」
 男の子はわずらわしいそうに、空ろな目で女を見上げた。
「おとうさん、おかあさんは」
「……、…こわい」
 ぽつりと一言。
「坊や、いくつになったの」
 あどけない顔立ちで、視線を向けるでもなく、ぎこちなく指を3本
たて、
「……さんさいになったの」
 こんな幼い子供がなぜ?病気でもしたのかしら。まだ3歳、短い人
生を可哀想に不憫に思えてならなかった。人生というには、あまりに
も短すぎる一生。
 色白女は持っていた真っ白な一枚布を、そうっと男の子の肩に掛け
てあげた。


 先にきた亡者の若い男の審理が始まろうとしている。閻魔王の正面
に座らされ、側には浄玻璃の鏡がよく見えるように置かれている。
 閻魔王はおもむろに、
「これ若い男、それでは尋問いたす。いかなる所為をもって三途の川
を渡ってきたのか」
「はい…ワイは車が大好きでんね、父親から中古やたんけど結構ハイ
グレードの車を買うてもろたんや。それを虫が大きな羽を広げたんよ
うに、マフラーも最高の音量のものに改造したんや。地を這うように
したんやけど、ええ気持やで。……ほんま言うたら、それに乗って三
途の川わたりたかったんやけど、あかんやった。あん橋げたは古うな
ってしもうて、きゃしゃで。予算がないんやろか」
「バカモン、そんな次元の供述を求めているのではない。真面目にや
れ」
「はい、実は女の子を乗せて、朝方に酔っ払ってしもうて、スピード
出し下り坂で崖っぷちから真ッ逆さま落ちたん。ワイはそのまま、こ
ちらはんにお世話になってはるんやけど、いっしょの女の子は、顔が
ガラスでめちゃつくし重症やったや」
「若い男、今ごろ親御さん達は、どんな気持ちでいると思う、分かっ
ているのか」
「はい、こちらへ来よってからよう分かりました、はい」
「そこのを見るがよい」
 浄玻璃の鏡には、生々しい事故現場の状況が映し出された。さらに
もう一場面が両親の元で幼稚に遊んでいる様が映しだされた。
 若い男は浄玻璃の鏡にひれ伏すようにして、
「ああ、パパ、ママごめんなさい」
「今ごろもう遅い。車改造などより、改心をして来世へ生所するがよ
い…次!」
 次に呼び出された亡者は、年のころ40代半ばのでっぷりと太って
いて赤ら顔の中年男。
「これ男、そちは何としてここへ来たのか。まず先に浄玻璃の鏡を見
るがいい」
 そこにはタバコのけむりで空気がにごり、喧騒としたスナックのカ
ウンターが大写しされた。カラオケがガンガンと鳴り、曲目も『法要』
じゃない、『抱擁』が流れている。

  ♪♭ 頬をよせあった あなたのにおいが
       私の一番好きな においよ
       ……あなたしか 愛せない
      女にいつか なってしまったの

 色白丸ぽちゃのママさんの頬にキスして、うっとりとしている男。
 ママさんは、顔が暗がりの方へターンした時、舌をぺろりと出した。
 やがて曲が終わってカウンターヘ戻った男。お代わりの水割りを注
ごうとしている女の子に、
「うすい、うすい」
などと言っている。
「あら、お強いのね。たのもしいわ」
 たのもしいわけだよ。売り上げがあがるもの。
 赤ら顔の男、浄玻璃の鏡を食い入るように見ていたが、
「いやいや、はずかしいところを見られちゃったな、これぁ」
と言いながらも、ママさんの姿をじっと追って、酔った気分になって
いる。
 そば仕えに、
「お願いがあるんだけんどよ、これダビングしてもらえんだろうかね。
……うい!家へ帰ってゆっくり見たいもんでよ」
もうすっかり酔ぱらっている。
「もう酔っている。これ男、ここは冥界だぞ…そちの家などどこにも
ないわ」
 閻魔王はサービスに、もう一場面見せることにした。肝硬変から肝
臓ガンになり全身麻酔で手術中、執刀医を補佐しながらメスやカンシ
を渡したり、汗を拭きとったりしている色白丸ぽちゃの看護婦のお尻
を、全身麻酔の男の手が撫でまわしている。
「これ、そちは肝臓ガンで亡くなったんであったな。♀となると異常
な感覚になる、これじゃ是非もないわ、審理はこれまで。……後に次
の亡者が控えておるゆえ、先へすすむ」
 それでも小池のほとりで神妙に控えている色白女が気になり出して
いた。

                           (つづく)


『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』