PART89 「のんきな殿様とその女房41」>>>「冥界の閻魔(エンマ)さま10」
著者 小山清春

「坊や、つぎはおまえのばんだよ」
 男の子はそば仕えに呼ばれて、気だるそうに立ち上がろうとした。
「ちょっと待ちなさい」
 閻魔王から声がかかった。色白女に目配せしながら、直近のそば仕えに何やら耳
打ちした。そば仕えはすたすたと階段をおり色白女のところへ、
「これ、おんな、そちが男の子の付き添いになり審理を受けるように、との仰せじ
ゃ」
 坊やを一人で審理に立たせるには不憫に思っていたからホッとした。
 色白女は男の子とつれだって審理の席へと上った。
 閻魔王はおもむろに、
「先ほどから注目していたところだが、そちはその子に自分の白一枚布を掛けてや
っていたな、なかなか慈愛な心がけだ」
「この子が不憫でなりませぬ」
 閻魔王は男の子の方へ、
「これ坊や、歳はいくつじゃ」
「……」
 男の子は閻魔王のほうを見上げているが、少しおびえている風で、色白女がそば
から声がけしてやっている。
「坊や、怖くはないのだからね。いくつになったの」
「……三歳」
「三歳か、坊やを審理に引き出すにはあまりにも幼すぎる。浄玻璃の鏡を見せるの
は忍びないのだ。…そちが代わりに観てやってくれぬか」
「はい」
「男の子は、そちらで待たせておくように」
 男の子は不安な面持ちで、色白女のほうを振り返りながら、そば仕えに引き連れ
られ出口の控えの広場へと離れた。
「その男の子は親の虐待にあって残酷な死に方をしている。まず浄玻璃の鏡を観る
がよい」
 男の子の自宅らしい画面が映し出された。
「ママ、…ジュース」
「さっき飲んだばかりでしょう」
 男の子は冷蔵庫のほうへ行き、ひとりで出そうとした。母親がぴしゃりと殴った。
「言うことを聞かないんだから……だんだんあの男に似てくる、憎たらしいね、ほ
んとうに」
 母親は、この子の父親から、さんざん殴る蹴るの虐待をうけ左手が不自由になっ
た。あげくにすてられた。男をしんから憎むようになり、わが子でありながら男へ
の憎さが子へとむけられ、虐待を抑えることが出来なくなっていた。次の男と一緒
になったが、捨てられまいと男の機嫌取りに執着するようになった。ある時、男が
殴ったことで男の子は片方の目を失明した。
 浄玻璃の鏡は次の場面に移った。
 浴槽にひとりで入っていた男の子は、湯に沈められ溺死してしまったのである。
 ここまで観ていた色白女は、目をそらして泣き叫び、控えの広場の方へひたひた
と小走りに駆けよって、
「坊や!」
 ひしと抱きしめた。
「かわいそうに、かわいそうに……目はもう治ったの」
 女はそっと失明の目に手をふれた。
「…うん」
 亡者たちは三途の川を渡り、前の世でうけた怪我や病気はすっかり治癒して冥界
に入る。
 閻魔王はそんな二人の光景をしばし眺めていたが、おもむろに、
「その子を待たせておくように。……さて、おんな、つぎはそちの番なるぞ」
 色白女が席に戻ると、改めて審理が開始された。
「三途の川を渡り、奪衣婆がかけたそちの衣装は、衣領樹の枝がしなったと言うで
はないか。その後の王たちからの供述調書によると、夫婦でもない男と二世を契っ
て三途の川を渡ったが、その男は生身の現世にとどまり、そちだけが冥界入りした
とあるが真か?」

「はい」
「初七日では、生前に五戒を犯したことはないとあるが、三七日の調書によると、
夫以外の男と淫奔な生活におぼれ、男女の慎ましやかさや理性を失い、道理をや
ぶったそうだ。閻魔帳を見てもそのようにしっかり記録されておる」
 色白女は、凛とした面持ちで閻魔王を見上げた。
「いいえ、閻魔さまそれは違います。……人間として生まれ、女としても自らの一
生を大切にしたかったのです。私とて生身の体、ほてって熱くなり男のぬくもりが
無性に恋しくなることもありました。そんな時、夫はいつも他の女のもとにいたの
です。……ほんとうのことです、閻魔さま」
「それじゃ、何よりも浄玻璃の鏡を観るがよい」
 画面はホテルの一室のよう。上位の男の胸にしがみつき、むせび泣き、極快感に
小刻みにふるえる色白な女の裸身が映し出された。
「あぁ、あんた!…あんた、会いたい、会いたかったよ……」
 色白女は浄玻璃の鏡を、しがみつくように掻き抱き、大粒の涙をながして号泣し
た。
「あんた、どうして一緒に来てくれなかったの…あんた、ねえあんた!」
 浄玻璃の鏡が、しがみついた色白女に揺り動かされたから、そば仕えがあわてて
制した。
 次の画面が映し出された。
 自宅の玄関を、小旅行のバックを持って出る母親の姿、屋内から娘が見送りにで
てきた。
「それじゃ、行くね」
 母親の表情にただならぬ気配を感じた風で、
「おかあさん、いつかきっと帰ってきて……」
 娘の口をついてでた言葉。親子は視線を交わしたが、それ以上の言葉はなかった。
 浄玻璃の鏡に映った一人娘の姿に、色白女は涙を流し、
「おかあさんを許して……」
 うなだれて詫びた。
「閻魔帳からの記録によると、男との官能愛におぼれ、母親としての愛情もかえり
みず娘の気持ちをも踏みにじった行為は、罪深きものと認められる」
 色白女は、無言でかぶりを振り不承知を表したが、所詮覆せるものではない。
 次の画面では、夫の姿が映し出された。

                                 (つづく)



『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』