PART90 「のんきな殿様とその女房42」>>>「冥界の閻魔(エンマ)さま11」
著者 小山清春

 夫が妻の裸身を押さえつけ、殴り、蹴りつける光景が映し出された。色白女
が必死に逃れようと這いずりまわるのを、金製のヘアブラシで掻きむしる様は、
狂気の沙汰。
「もう嫌!…」
 恐怖の画面におののく色白女は、息をはずませ全身がわなわなと震え、そば
仕えの制止をふり切って審理の席をのがれようとした。
「これ、おんな、気をしずめよ。…落ち着きなさい」
 体のふるえがようやく治まり平静にもどったのは、審理がいったん中断し画
面が消え、次の画面が映し出された時。
 浄玻璃の鏡は、亡者たちが裁きの順番をまつ間、来世の生所である地獄道・
餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道絵がPR用に映し出された。
『地獄道は、生きていることがすべて極苦しみの世界。
 餓鬼道は、飲む喰うものが得られず常に苦が止むことなく、欲求不満の状

 にある。
 畜生道は、常に他のものを餌食にして生き、自分のことしか見えない。
 修羅道は、嫉妬心が強く、常に不安がつきまとい戦いがたえない。
 人道は、堕落することも、信心深く悟ることもできる。地獄と仏の間、人と
 人の間、生と死の間にある。
 天道は、勝れた楽を受け、求めるものすべて充たされる最高の状態。そこに
 もなお苦がつきまとう、ところがこの苦をよろこびと感ずる心がもてる』

 ♪♭…死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
    自分ばかりを責めて 泣いて過ごしたわ
    色白女もいろいろ 罪悪もいろいろ……… 


 強盗・殺人・火付けなどの極悪人から、賄賂・詐欺、交通三悪、幼児虐待、婦
女暴行・セクハラ等にいたる悪行、自らの貪欲にまけて深酒におぼれ命を粗末
にしたぐうたら者、男女の道義からはずれた不義密通にいたるまで、

 ♪♭…亡者だっていろいろ 咲き乱れるの………。

 浄玻璃の鏡のPR版、六道絵を見せつけられた亡者たちの中には、冥界に来
てまでも1人殺すも多数殺害するも同じよと息巻いていた殺人鬼が、地獄絵図
を見てすっかり意気消沈してしまった馬鹿。
 昔、不義密通は市中引き回しのうえ打ち首獄門。男・女が後ろ手に背中合わ
せになり、馬の背にのせられ、罪状を紙幟にしるし、公衆の見せしめにした。
男は素っ裸同然、色白丸ぽちゃは顔色蒼白にしてうつむき加減、うすい白衣を
はおりほとんど半裸の艶かしい姿。さて現代ならどうだろうか、馬に変わって
オープンカーに乗り、深紅の大優勝旗にかわる罪状の紙幟をたて、ひとりの女
につるんだ男3人が乗っている。しかも辻々で別のオープンカーと鉢合わせに
なったりして賑やかだろうね。
「何だ、なんだ、お前もか」
「いゃいゃ、オレなんか、このあと別の女ともう一度回るんだよ」
 妻から、些細なことに目くじらを立てられ、癇にさわって殴る蹴るの仕打ち
うけながらも、家族を思い世間体を気にして忍耐の内気な夫。夫から邪険にあ
つかわれ、虐待をうけ救いを求めている妻。互いが自然の成り行きで惹きあい、
世間の掟にそむいてしまった二人。これすらも不義と言えるのだろうか。
 義理人情を重んじ、家庭を円満にみせようと忍苦に生き、世間の掟という
重石をかけられて、一度きりの人生を素直に生きなかったのも、また罪になる
のではないだろうか。
 生前の罪業の過ちに気づき悩み、さいなむことで懺悔し往生しても、生前に
犯した罪と悪行は決して赦免されることはない。しかし前非を改めて心をいれ
かえ、さらに遺族によるねんごろな追善の供養がおこなわれると罪一等を減ぜ
られることもある。

 色白女の審理が再開。浄玻璃の鏡は中断し、閻魔王と色白女との尋問にはい
った。
「これ、おんな、気の静まりを自覚できたか」
「はい、閻魔さま」
「三七日の宋帝王からの審理報告によると、そちの供述では、夫婦の絆は精神
的だけでなく、肉体的な結びつきも重要な要素だと申したな。そちたち夫婦は
肉体的な結びつきも絶え、人間らしく本性を真っ当したいがため、他の男の性
(さが)を求めてしまったということか」
「はい、二人の愛情は、決して不真面目な気持や淫らなものではありませぬ。
あの男との出会いがあって、はじめて人間に生まれた幸せがありました。本当
です。閻魔さま!」
「そちは、夫からひどく虐待されたのは何ゆえか、考えを述べてみよ」
「はい、……夫は大学病院の研究室、わたしは薬局におりました。好きあって
1年ほどの付き合いで一緒になった仲ですが、私は何も知らなかったのです。
新婚の旅先でのことでした。夫は大学時代の友人と逢うからと、私をホテルに
残し出かけたのです。その日は夜遅く戻ったのですが、実は以前からの女と密
かに逢っていたのです。娘が物心をつくようになった頃、そのことが表沙汰と
なり、夫を責めました。「あぁ、昔な、そんなことがあった」と平然としてい
るのです。たとえ真実であったとしても、がんとして強く否定してもらえば、
女としても救われたのです。それ以来、まったく夫婦の関係がありませぬ。夫
はその女とは間もなく別れ、今は別の女をマンションに住まわしているのです。
そんな夫に、どうしても我慢がならなかったのです。娘は、そんな父親の素行
を知っていましたから、母親の私を理解してくれていました」
「しからば、そのような娘の心情を理解してやり、死にいたらずとも別の生き
る道があったのではないのか」
「はい、なんどもそんな思いがあり心の葛藤に悩み苦しんできましたが、あの
男は、会社の不祥事で責任をとり、公金を横領する破目になったのです。私は
そんなあの男を、ひとり死なせることができなかった。閻魔さま」
「閻魔帳には、そちの行状は克明に載っており、夫とのことも非として記され
ておる。…いずれ非は非、是は是として沙汰をいたすが、出口の控えの間で待
つがよい」  


                               (つづく)



『著書「お色気ちょっぴり 肩のこらない話」から』